·27 分で読了

医療機関のペイハラ対策|応招義務との関係と、義務化後に整える3つの体制(掲示文・通知文例つき)

患者・家族からの暴言や執拗な要求(ペイハラ)に、クリニック・歯科・調剤薬局・訪問看護はどこまで対応できるか。2026年10月施行のカスハラ対策の措置義務と、医師法19条の応招義務・厚労省通知の「正当な事由」の関係を整理し、受付から管理者の判断・警察通報までの対応フロー、待合室の掲示文と診療継続が困難な場合の通知文例を社労士が解説します。

#カスハラ#医療機関#クリニック#応招義務#ハラスメント対策

はじめに|「応招義務があるから断れない」で止まっていませんか

受付で30分怒鳴り続ける患者、説明後も診療と関係のない要求で深夜の電話を繰り返す家族。クリニック・歯科・調剤薬局・訪問看護では、院長や事務長が矢面に立ちがちです。医師・歯科医師には応招義務があり、薬剤師や訪問看護事業者にも法令・運営基準による提供拒否の制限があります。「診療を断ってよいのか」と「職員を守るために何をするか」が同時に問われます。

本記事は、措置義務を医療機関に当てはめ、応招義務との関係と対応フロー・文例をまとめます。診療を続けない判断の説明と文例は主に医科・歯科向けで、薬局・訪問看護では適用法令・運営基準や契約に沿って個別に検討してください。

「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」は通称で、このうち法令・指針の要件を満たすものがカスタマーハラスメントに該当します。指針は「施設・サービスの利用者及びその家族」を顧客等の例に挙げ、家族の言動も対象です(全体像は義務化の解説記事)。

何がペイハラか|線引きと応招義務との関係

指針の3要素と「内容」「態様」の2軸

改正労働施策総合推進法33条1項と指針(令和8年厚生労働省告示第51号)の定義は、①顧客等(患者・家族を含む)の言動であって、②業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるもの。許容される範囲の苦情は「正当な申入れ」であり該当しません。

指針の趣旨を要約すると、言動の内容(要求に理由があるか、相当か)と手段・態様(暴行、脅迫、大声、執拗な繰り返し、居座りなど)の両方に着目し、一方のみが範囲を超える場合でも該当し得る、というものです。「説明に納得できない」という申入れ自体は正当でも、緊急の医療上の相談ではない要求を説明後も深夜の電話で繰り返す態様は別に評価します(2軸の記事)。

指針は、業法等でサービス提供の義務がある場合や、途絶が顧客等の生命・健康に重大な影響を及ぼす場合への留意を求め、悪質な行為者へのサービス停止も「法令の制限内において」としています。医科・歯科ではこの「法令の制限」の中心が応招義務です。

応招義務と「正当な事由」|厚労省通知の整理

医師法19条1項は、診察治療の求めを「正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定め、歯科医師法19条1項も同じ構造です。薬剤師法21条は調剤の求めを「正当な理由がなければ」拒めないとし、訪問看護では運営基準が「正当な理由なく」提供を拒むことを禁じています(指定訪問看護の基準省令6条など)。主体と根拠が異なるため、以下の通知の整理は調剤・訪問看護にそのまま当てはまりません。

医科・歯科で診療を断ることが正当化される場合は、厚労省通知「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(令和元年12月25日医政発1225第4号)が整理しています。

  • 応招義務は、診療に従事する医師・歯科医師個人が国に対して負う公法上の義務で、患者に対する私法上の義務ではない。通知はこれとは別に、医療機関としても正当な理由なく診療を拒んではならないとし(昭和24年通知)、さらに医師・医療機関には診療契約等に基づく民事上の責任が生じ得る(公法上の義務だから民事責任を負わない、とはいえない)
  • 最も重要な考慮要素は、緊急対応が必要か(病状の深刻度)。緊急対応が必要で診療時間内・勤務時間内なら、専門性・診療能力・設備、他院による医療の代替可能性を勘案し、事実上診療が不可能といえる場合にのみ診療しないことが正当化される。診療時間外・勤務時間外は、応急処置が望ましいとしつつ、原則として公法上・私法上の責任は問われないと整理されている(ただし診療中の患者や当直・救急体制がある場合は、診療契約・体制に応じた個別の検討が要る)
  • 緊急対応が不要で時間内なら原則として必要な医療を提供する。診療しないことの正当化は、上記の要素と患者との信頼関係等も考慮して緩やかに解釈される
  • 「患者の迷惑行為」は、その態様に照らし診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化される(例「診療内容そのものと関係ないクレーム等を繰り返し続ける等」)

「患者の迷惑行為」の記述は「新たな診療を行わないこと」が正当化される場合を示したもので、「新たな診療」を初診に限ると捉えたり、この記述だけを根拠に継続中の治療を直ちに終了できると捉えたりするのは適切ではありません。継続診療の終了では、診療契約上の義務、治療中断の影響、移行に必要な対応も検討します。緊急性と信頼関係だけで断れるとは限らず、記録に残したうえで個別に判断します。

10月1日の義務化で医療機関がやること3つ

措置義務は全業種共通で、方針の明確化と周知、相談体制、事後の迅速かつ適切な対応、プライバシー保護と不利益取扱いの禁止が柱です。3つにまとめます。複数窓口・独立した規程・患者向け掲示は方法例で、一律の法的要件ではありません。

1. 方針を決めて、職員に(できれば患者にも)示す

「社会通念上許容される範囲を超えた言動には毅然と対応し、職員を守る」という方針を就業規則・ハラスメント防止規程・職員向け方針書などで明文化して職員に周知します。指針は顧客等への周知も効果的としており、待合室の掲示(後述の文例)がこれにあたります。正当な申入れを萎縮させない一言も添えます(条文は規程のひな形)。

2. 相談窓口と事後対応の流れを決めて、職員に知らせる

小規模な医療機関では、院長と事務長(または看護師長)の2名を窓口にするのが現実的です。該当するか判断がつかない段階でも相談でき、相談後は速やかな事実確認、被害を受けた職員への配慮(担当交代、受診の勧めなど)、再発防止までを一連の流れにします。相談者と協力した職員のプライバシー保護と、相談・協力を理由とする不利益取扱いの禁止も明記して周知します(周知文は相談窓口の作り方)。

3. 対応手順と「悪質な場合の対処方針」を決めておく

指針は、特に悪質な言動への対処方針(警察への通報、警告文、法令の制限内でのサービス提供の停止、出入り禁止など)を定めて職員に周知し、実行できる体制を整えることを求めています。「診療を続けない」判断は応招義務に関わるため、**誰が(管理者・医師)、何を確認して(緊急性・治療への影響・経緯の記録)、どう伝えるか(書面)**まで決めておきます(マニュアル雛形・切り返し方10場面)。

対応フロー|受付→管理者の判断→対処・通報→記録

ステップ1:受付・現場の一次対応

  • 一人で対応しない。声が大きくなった時点で、もう一人が隣に立つか、管理者を呼ぶ
  • 録音する場合は、掲示などで利用目的を知らせ、範囲を必要最小限にし、保存期間・閲覧権限・安全管理・外部提供の取扱いを定める。病歴等の要配慮個人情報が含まれ得るため、同意や法令上の例外の確認、他の患者の会話が不用意に入らない運用も検討する
  • 認知症・せん妄などが疑われる場合は医療職が病状を評価し、聴覚障害や意思疎通の困難がある場合も含め、障害特性に応じた配慮(説明方法の調整など)を検討する。病状由来でも職員の安全確保と被害職員への支援は行う

ステップ2:管理者の判断

  1. 緊急性:直ちに対応しないと生命・身体に重大な影響が生じるおそれがあるか(医学的評価は医師等)。緊急性が高ければ必要な医療につなぐ対応を優先し、暴力などで安全に診療できない場合は、職員・他の患者の安全確保、警察への通報、救急搬送の調整などを並行して行います
  2. 内容と態様:要求に理由があるか、態様が社会通念上の範囲を超えているか
  3. 信頼関係と影響:経緯(回数、注意の有無、改善の有無)から信頼関係が失われたといえるか。継続中の治療への影響と他院での受診可能性

対応は「説明を尽くして継続」「時間を区切って退去を求める」「書面で警告」「診療継続が困難と判断し他院への移行を調整」などを状況に応じて選択・併用する例として整理します。

ステップ3:警察への通報・退去要請の基準

指針は、暴行・傷害・脅迫などの犯罪に該当し得る言動は警察へ通報することを対処の例に挙げています。殴る・物を投げる・「殺す」と言う場面は説得を続けず通報、と文書にしておきます。居座りや電話での拘束は、十分な説明後もなお繰り返す場合に一定時間の経過をもって退去を求める・電話を切る対応が例示されていますが、時間だけで機械的に判断せず、緊急の医療上の訴えがないかを確認し、苦情対応を終える場合も必要な受診案内は行います。

ステップ4:記録と事後対応

日時・相手・言動・対応者・対応内容・職員の状態に加え、緊急性の評価・治療への影響・代替対応の検討・判断者を、その日のうちに記録します。経緯の記録は、信頼関係喪失の判断理由を客観的に説明するうえで重要です(様式はスターターキットの対応記録シート)。

文例(当事務所案)

いずれも当事務所の案です。通知文は完成品ではなく、具体的な事実に加え、終了・制限の範囲、開始時期、移行中の診療・処方・予約の取扱い、連絡窓口を病状等に応じて検討して入れる位置づけです(一律の猶予期間を設ける趣旨ではありません)。送付前に顧問弁護士の確認を受けることをおすすめします。

待合室の掲示文

患者さま・ご家族の皆さまへ

当院は、職員が安心して診療にあたれる環境を守るため、カスタマーハラスメント対策に取り組んでいます。診療内容へのご質問・ご要望はいつでもお聞かせください。一方で、暴力・暴言・脅し・長時間の居座り・執拗な要求など、社会通念上許容される範囲を超える言動があった場合は、その言動の中止を求め、相談対応の中断や警察への通報等を行うことがあります。診療の継続については、緊急性や治療への影響、関係法令等を踏まえて個別に判断します。受付での会話は、応対内容の確認と安全確保のため録音させていただく場合があります。

〔医療機関名〕院長

診療継続が困難な場合の通知文例

患者本人の言動を検討する場合の例です。家族等の言動が問題となる場合は、行為者への対応と患者本人への医療提供を分けて検討し、この文例をそのまま使わないでください。

〔氏名〕様

〔日付・場所〕における〔氏名〕様ご自身の〔具体的な言動と診療への支障。例:診療内容と関係のない要求を大声で繰り返し、他の患者の診療が中断した〕について、〔日付〕に職員から注意を申し上げましたが、その後も改善がみられませんでした。上記の経緯から、当院では〔対象となる診療〕を継続することが困難と判断しました。今後の診療の対象・範囲は〔内容〕とし、終了予定日は〔日付〕とします。それまでの診療、処方および予約の取扱いは〔具体的な対応〕とします。他院への移行については、治療が途切れることによる影響を確認のうえ、〔連絡窓口〕で紹介状の作成や受診先の調整等をご相談します。緊急の診療の求めについては、その時点の病状と当院の診療体制等に応じて個別に判断します。

〔日付〕〔医療機関名〕院長〔氏名〕

よくある質問

Q1. 暴言のあった患者を、その日のうちに「出入り禁止」にしてよいですか

出入り禁止(施設への立入り制限)と診療を行わない判断は区別します。重大な暴力・脅迫では初回でも退避・通報が必要になる場合がある一方、立入り制限を理由に将来の診療の求めを一律に拒めるわけではありません。

Q2. 患者本人ではなく家族からの執拗な電話は対象になりますか

はい。指針は家族を顧客等に含め、電話やSNS上の言動も対象としています。家族への窓口を一本化し、回数と内容を記録します。家族の言動を理由に患者本人の診療を当然に打ち切ることはしません。

Q3. 厚労省の医療機関向けマニュアルは出ていますか

厚労省の業種別マニュアル一覧(令和8年9月時点)を確認した範囲では、医療は載っていません(2026年10月23日確認)。9月14日公表の検討会資料では、令和8年度の支援事業で医療業を対象にマニュアル等を作成・普及する予定とされています。厚労省のeラーニング教材「医療現場における暴力・ハラスメント対策」(応召義務・安全配慮義務を含む全12本)も参考になります。

まとめ

  • ペイハラのうち指針の要件を満たすものはカスタマーハラスメントに該当し、2026年10月1日から医療機関にも措置義務が及んでいます(家族の言動も対象)
  • 線引きは「内容」と「態様」の2軸。医科・歯科ではさらに、応招義務の「正当な事由」を緊急性・信頼関係・診療時間・治療への影響などから個別に確認します(医政発1225第4号)
  • 整えるのは3つ。方針を規程(と掲示)で示す、相談窓口と事後対応の流れを決める、管理者の判断手順と悪質な場合の対処方針を文書にする

当事務所は、職員向けの方針・相談体制・対応手順など、労務管理面の整備を支援します。個別の患者への診療制限の法的判断や、紛争に関する通知文の作成・交渉は弁護士が担当し、当事務所は労務面で連携します。貴院に合わせた掲示文・規程・対応手順のご相談はお問い合わせからどうぞ。初回30分は無料です。

出典

  • 労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律 第33条・第34条(e-Gov法令検索。2026年10月1日施行の改正後)https://laws.e-gov.go.jp/law/341AC0000000132
  • 厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号、2026年2月26日。定義と2軸はp.6、業法等への留意はp.12、対処の例はp.15、悪質な言動への対処方針はp.23。いずれも資料内の印刷ページ番号)https://www.mhlw.go.jp/content/001662625.pdf
  • 医師法第19条、歯科医師法第19条、薬剤師法第21条(e-Gov法令検索)
  • 指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準(平成12年厚生省令第80号)第6条、指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成11年厚生省令第37号)第9条・第74条(e-Gov法令検索)
  • 厚生労働省医政局長通知「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(令和元年12月25日医政発1225第4号。考慮要素はp.2〜3、患者の迷惑行為はp.4。資料内の印刷ページ番号)https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000581246.pdf
  • 厚生労働省「医療分野のカスタマーハラスメント対策について」(2026年9月14日 第5回 2040年に向けた看護職員の養成・確保の在り方に関する検討会 資料4)https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001749054.pdf
  • 厚生労働省「業種別カスタマーハラスメント対策マニュアルについて」(令和8年9月時点)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/newpage_76391.html
  • 厚生労働省「医療従事者の勤務環境の改善について」(医療現場における暴力・ハラスメント対策 eラーニング教材、全12本)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/quality/