どこからがカスハラで、どこまでが正当なクレームか|2軸で線を引く(2026年10月義務化)
2026年10月1日にカスタマーハラスメント対策が義務づけられます。現場でいちばん判断に迷うのは「強い口調の申し出をカスハラ扱いしてよいのか」という線引きです。要求の内容の妥当性と、手段・態様の相当性という2軸で整理し、就業環境が害されたかという法律上の要件まで含めて、社会保険労務士が図解で解説します。
はじめに
2026年10月1日から、企業にカスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)対策が義務づけられます。方針を作り、相談窓口を整える——ここまでは、多くの会社がすでに準備を進めているところだと思います。
一方で、ご相談を受けていていちばん多いのは、その先の問いです。
「強い口調で言われたら、もうカスハラ扱いしていいのか」 「お客様の言い分が正しい場合はどうするのか」 「対応を打ち切って、後でクレームになったら誰が責任を取るのか」
方針とマニュアルを配っても、現場が線を引けなければ運用は止まります。本記事では、この「線引き」だけに絞って整理します。義務化そのものの全体像はカスハラ対策の義務化とは(2026年10月施行)をご覧ください。
この記事でわかること
- 「強く言うこと自体がカスハラになる」という誤解がなぜ危ないのか
- 線引きの2軸(要求の内容の妥当性/手段・態様の相当性)と、見落とされがちな法律上の要件
- 内容は正しいのに線を越えるケース(実務でいちばん揉める型)
- 現場に配れる形にするための3つの落とし込み
前提:課されるのは「措置義務」であって「客を追い返す義務」ではない
根拠は改正労働施策総合推進法です。パワハラ対策を義務づけてきたのと同じ法律に、顧客等の言動に関する措置義務が新しく設けられた、という位置づけです。
課されるのは、違反に直ちに罰金が科される仕組みではなく「措置義務」です。カスハラを許さない方針の明確化と周知、相談体制の整備、事実確認や被害を受けた人への配慮、再発防止などが求められます。
ここで押さえておきたいのは、「客を追い返せ」という制度ではないということです。目的は、働く人が一人で抱え込まずに済む仕組みをつくることにあります。この前提を現場に伝えないまま「カスハラは断ってよい」とだけ周知すると、次の誤解が生まれます。
最も多い誤解:「強く言うこと自体がカスハラ」ではない
商品の不具合を指摘する、接客ミスに抗議する。こうした申し出は、企業にとってむしろ改善の材料です。義務化されても、消費者が声を上げられなくなるわけではありません。
「口調が強い」という一点だけでは、機械的に線は引けません(ただし程度によっては、口調そのものが威圧・暴言として手段の不相当性の判断材料になります)。 ここを取り違えると、正当な申し出まで「カスハラ」として処理してしまい、クレーム対応の質そのものが落ちます。義務化対応が、かえって顧客対応を弱くしてしまう——現場に線引きを渡さないと、これが起きます。
線引きの2軸
分かれ目は、次の2つの軸で整理できます。
- 要求の内容に妥当性があるか
- 要求を通す手段・態様が社会通念上相当か
なお法律上は、こうした言動により働く人の就業環境が害されたことも要件で、経緯や頻度も含めて総合的に判断されます(著しい暴言や脅しは1回でも該当し得ますし、単発では軽くても繰り返しで該当に至ることもあります)。2軸はあくまで現場が最初の判断を落ち着いてするための道具であり、最終的な評価は個別事情によります。

| 要求の妥当性なし | 要求の妥当性あり | |
|---|---|---|
| 手段・態様が相当 | 内容の不当性の程度により、カスハラに該当し得る(実現できない要求・言いがかり)。ただし勘違い・契約内容の理解不足による穏当な要望もここに入るため、直ちに断定せず内容と経緯の確認から | 正当なクレーム(改善の材料) |
| 手段・態様が不相当 | カスハラに該当し得る | カスハラに該当し得る(長時間の拘束・暴言・土下座の要求) |
※法律上は「内容の妥当性・手段/態様の相当性のいずれか一方が社会通念上の許容範囲を超えるか」で見るため、右上以外の3マスはどれもカスハラに該当し得ます。そのうえで、どのマスでも最終判断には就業環境が害されたかを含めた総合的な評価が必要です(前述)。
安心して「正当なクレーム」と言い切れるのは、右上の1マスだけです。 残りの3マスは「即カスハラ」ではなく、確認と判断が要る領域——だからこそ、後述の「引き継ぐ手順」が要ります。
実務でいちばん揉めるのは「右下」
注目していただきたいのは、要求の中身が正しくても、手段が行き過ぎて就業環境を害すれば、カスハラに該当し得るという点です。
指摘が妥当でも、何時間も従業員を拘束したり、人格を否定する言葉を浴びせたり、土下座を求めたりすれば同じです。逆にいえば、内容が妥当で、伝え方が常識の範囲であれば、お客様が遠慮する必要はありません。
現場が固まるのは、たいていこの右下です。「こちらに非がある」という負い目があるため、担当者は手段の側の行き過ぎを指摘できず、一人で耐えてしまいます。
現場に渡す言い方の例 「ご指摘の内容については、こちらに不手際がありました。改めて対応させていただきます。ただ、その点とは別に、○○(大声・長時間の拘束・人格を否定する言葉)はお控えいただけますでしょうか。」
非の有無と、手段の相当性を切り離して扱うのがポイントです。内容を認めることと、手段を受け入れることは別だと、あらかじめ会社が言い切っておく必要があります。
現場に落とし込む3つの手順
線引きは、図を配っただけでは機能しません。次の3点まで決めて、はじめて現場が動けるようになります。
- 判断を担当者一人にさせない——「線を越えたと感じたら、その場で上位者を呼ぶ」という手順を決める。担当者に判定させるのではなく、引き継ぐ基準として渡すのが実務的です。
- 記録の様式を先に配る——日時・対応者・要求の内容・言動の具体(発言の再現)・所要時間。この5点が残っていないと、後から会社として判断できません。
- 対応を打ち切る場合の決裁者を決めておく——「誰が中止を判断するのか」を決めずに方針だけ配ると、現場は結局打ち切れません。
なお、打ち切りの判断には別途の検討事項があることも、決裁者とセットで押さえておいてください。法令・契約上のサービス提供義務、中断が生命・健康に関わる場面(医療・介護・交通など)、障害のある方への合理的配慮の申出、消費者としての正当な権利行使——これらはそれ自体をカスハラ扱いしてはならない性質のもので、対応の終了・制限にあたっては個別の検討が必要です。ただし逆方向も明確で、こうした申出が含まれていることは、暴力・脅迫・著しい暴言まで受け続けなければならないという意味ではありません。判断が分かれやすい業種・場面では、打ち切りの代わりに担当者の交代・書面や別窓口への切り替え・時間を区切った対応といった選択肢を先に決めておくのが実務的です。
客の側にも、静かな変化がある
これまで多くの企業は、理不尽な要求にも「お客様だから」と対応を続けてきました。義務化以降は、従業員を守るために必要な雇用管理上の措置を講じることが、企業の法的な義務になります。つまり、行き過ぎた要求には、対応の中止や担当者の交代を組織として判断する企業が増えていくと考えられます(業種や事案により対応は異なります)。
「お客様だから」で現場に我慢させる運用は、見直しを迫られていきます。働く人にとっての前進であると同時に、消費者にとっては**「言い方が結果を左右する」時代の到来**でもあります。
よくあるご質問
Q. 強い口調で言われただけで、カスハラとして記録してよいですか。 A. 口調の強さだけでは決まりません。要求の内容と手段の両面、そして就業環境が害されたかを含めて判断します。ただし、記録を残すこと自体は判断とは別です。迷った時点で記録しておき、評価は後から会社として行うほうが安全です。
Q. お客様の言い分が正しいときは、どこまで受けるべきですか。 A. 指摘に理由があれば、事実確認のうえ必要な是正や説明を行います。ただし、指摘が正しいことと、求められた解決方法(返金・無償対応・担当者の処分など)まで受け入れることは別で、要求内容はそれとして妥当性を確認します。また手段が行き過ぎている場合は、その点だけを切り離して、不相当な言動の中止を求めて構いません(上図の右下)。
Q. 相談窓口は、新しく作らなければいけませんか。 A. 既存の相談窓口との兼用も認められています。重要なのは、窓口があることが従業員に伝わっていること、担当者・部署・連絡先が明示されていること、そして担当者が相談内容に応じて対応できる状態になっていること(誰にどう引き継ぐかが決まっている)です。
Q. 中小企業も対象ですか。 A. 企業規模による適用の猶予は設けられていません。準備の重さは規模で変わりますが、方針の明確化・周知と相談体制の整備は、A4・1枚と既存窓口の指定からでも着手できます(着手の形であって、これだけで必要な措置が完了するわけではありません。自社の実情に応じた整備が前提です)。
まとめ
- 義務化で課されるのは措置義務。「客を追い返す制度」ではない
- 線引きの軸は①要求の内容の妥当性 ②手段・態様の相当性。加えて就業環境が害されたかが法律上の要件で、経緯や頻度を含めた総合判断
- 言い切りで「正当なクレーム」と扱えるのは右上の1マスだけ(残り3マスは確認と判断が要る領域)。実務で揉めるのは内容は正しいが手段が行き過ぎる右下
- 図を配るだけでは動かない。引き継ぎ基準・記録様式・打ち切りの決裁者まで決めて現場に渡す
10月1日まで、準備の時間は限られています。方針・相談窓口の掲示・記録様式など、着手に必要なひな形一式を**カスタマーハラスメント対策スターターキット(全8点)**として無料で配布しています。自社の実情に合わせて手を入れてお使いください。
当事務所では、方針の作成から相談窓口の設置、現場向けの研修まで、カスハラ対策の実務をお手伝いしています。ご相談はお問い合わせからどうぞ。